Artist :: COCOBAT


COCOBT ARE:
TAKE-SHIT [Bass]
HIDEKI  [Vocals]
SEIKI [Guitars]
RYO [Drums]

1991年
春、レコード屋で働いていたTAKE-SHIT(B)とRYUJI(Vo)が知り合い、その後SUZUKI SHINICHI(G)とMATSUZAKI(Dr)が加わり、COCOBATとして始動する。バンド名の“COCOBAT”は、名黒人レスラーBOBO BRAZILの必殺技(COCONUTS HEADBUTT)より採られている。その必殺技のパンチ力、インパクトを自分たちのサウンドの象徴として名付けた。代々木チョコレートシティを中心にガス・ボーイズとジョイントする形でライヴをこなし、ガス・ボーイズの「公衆ベンジョ」に参加。同時に、目黒鹿鳴館、高円寺20000V、新宿アンティノックを中心にライヴをこなしていく。

1992年
3月、ファースト・アルバム『COCOBAT CRUNCH』をインディのSTINKYレコードより発表(1993年11月にKING CRIMSONのカヴァー2曲を追加してトイズファクトリーより再リリース)。イギリスの音楽誌“KERRANG!”に「パンテラへの日本からの返答」と絶賛される。ライヴ活動も東名阪仙と広げ、東京では新宿LOFTがベースになっていく。

1993年
1月、ニューヨークのハードコア・バンド、SICK OF IT ALLをTAKE-SHITが日本招聘し共演。その後もBODY COUNT、ROCKET FROM THE CRYPT、EXODUSの初来日公演をサポートした。H.G.FACTよりDOOM/COCOBAT Split 7inch EPをリリース後、8月に2ndアルバム『STRUGGLE OF APHRODITE』をトイズファクトリーよりリリース。同時期にBRUTAL TRUTH、CATHEDRALと共演した。2ndアルバム発売記念TOUR後、DrumのMATSUZAKIが脱退し、後任にHIROSHI(SUPER STUPID)が加入したが、同年12月G、Drが脱退。そのラインナップ最後の新宿LOFTでのライヴを収録し、『A TOURIST GUIDE TO COCOBAT』としてビデオリリース。メンバーの固まる4月まで、RYUJI、TAKE-SHITの2人で個々のやりたいことをRemixという形で制作。

1994年春、ニュー・メンバーMUROCHIN(Dr)、TOMODA(G)を迎え、BIOHAZARD、HELMET、-⑯-(SIXTEEN)、QUICKSANDのサポートをする。また日米オルタナティヴ・フェス“IGANARAMA”にも参加。また6月には、先のRemix曲やライヴ曲を含む『FOOTPRINTS IN THE SKY』を発表。8月、S×O×BのヘルプメンバーとしてTAKE-SHITが“Vicious World Tour”に参加。12月の新宿LOFTでのライヴをもって、RYUJI(Vo)が脱退。

1995年
1月、ヴォーカルをTAKE-SHITが兼任する形で、残った3人で『POSi-TRACTION』をレコーディングするも、G、Drも脱退。4月、NORI(G)、KAME(Dr)、HIDEKI(Vo)を迎え入れ、都内ライヴ・ハウスでひたすらニューラインナップでの足固めをする。THE MIGHTY MIGHTY BOSSTONESの初来日公演のサポート、Hi-STANDARDの東名阪TOURのサポート終了後、NORI(G)が脱退。10月、新宿リキッドルームで行われたS×O×BのTOTTSUAN追悼ライヴより元SHELLSHOCKのKOJIが参加。精力的にライヴを行う。

1996年
8月、ニューヨークで、HELMET、QUICKSAND、CIV等との仕事で知られるプロデューサー/エンジニアのDON FURYとレコーディング。同時にCBGBやニュージャージーでのWarped Tourでライヴ。9月、日本で行われたWarped Tour JapanにHi-STANDARDやSICK OF IT ALL、SOCIAL DISTORTIONとともに参加。12月、4thアルバムとなる『RETURN OF GRASSHOPPER』を発表。

1997年
、JESUS LIZARD、EARTH CRISIS、MADBALL、25 TA LIFEなどのサポート公演をこなしつつ、8月のAIR JAMに参加。10月、ORANGE 9mmも参加したイヴェント会場にてTAKE-SHITが腕を骨折。12月、MISFITSの初来日公演のサポートのライヴを最後にDrが脱退。

1998年
1月、現ドラマーのRYOが加入するも、6月 KOJIが掛け持ちしていたCOALTAR OF THE DEEPERSに専念するため一時脱退。ヌンチャク~SUPERHYPEのMIZOGUCHIをヘルプに迎え入れ、AIR JAM’98に参加。DEFTONES、SUICIDAL TENDENCIES、V.O.D、ENSIGNの来日公演サポートをする。同時に6曲入りEP『TSUKIOOKAMI』を11月にリリース。タイトル曲はプロシューター佐藤ルミナの入場テーマ曲に使われ、オリコンチャートに初のランクインを果たす。

1999年
1月、 KOJI(G)が復帰、S.O.D、SEPULTURAの来日公演をサポート。8月、DenmarkはCopenhagenのSweet Silence Studioにてアルバムをレコーディング。エンジニア/プロデューサーのFLEMMING RASMUSSENはRAINBOWやMETALLICAのプロデュースで知られている。12月、その新作アルバム『I VERSUS I』を発表。

2000年
、3月の終わりまで、MAD CAPSULE MARKETSのオープニングを含むアルバム『I VERSUS I』発表後のツアー。7月にはライヴ・ビデオ『MICHAEL BROWN』のシューティングをかねたライヴをオン・エア・ウェストで実施。8月にはAIR JAM’00に参加。秋からは新曲のレコーディングを行いながら、11月にはオン・エア・イーストでONE MINUTES SILENCEをサポート。12月にはシングル『ARANA』とセカンド・ライヴ・ヴィデオ『MICHAEL BROWN』を同時リリース。『ARANA』はオリコンのシングル・チャート32位を記録する。その後、東、名、阪をSUCK DOWNとツアー。

2001年
8月、PANTERAとSLAYERがヘッド・ライナーをつとめた横浜アリーナで行われたラウド・ミュージックのフェスティヴァル“BEAST FEAST01”に参加。日本バンドのトリをつとめる。併せてライヴ・ミニ・アルバム『SUPERCHARGED CHOCOLATE MELTDOWN』をリリース。9月にはLAのSteakhouse Studioでアルバムをレコーディング。エンジニア/プロデューサーをつとめたMARK DODSONはTHE ALMIGHTY、ANTHRAX、JUDAS PRIEST、PRONG、SUICIDAL TENDENCIES等との仕事で知られている。10月には、元ココバットのメンバーによるバンド、PULLING TEETHとDESSERETとの東名阪ツアーを実施。12月、アルバム『GHOSST TREE GIANT』を発表。

2002年
、BRAHMANのオープニング・アクト、POT SHOT、SOBUT、山嵐とのZEPP札幌でのライヴをおこなった後、『GHOST TREE GIANT』のツアーを実施。3月、渋谷クラブクアトロでの最終公演をもってギターのKOJIが脱退。当月末におこなわれたOUTRAGEのオープニングでのライヴから、過去COCOBATのヘルプもつとめたことがあるMIZOGUCHI(ヌンチャク、SUPERHYPE)が加入。5月、SODOM、DYING FETUS、DIMENTION ZEROが出演した“EXTREME THE DOJO”の東京公演に参加。6月には『GHOSST TREE GIANT』の韓国リリースにともなう韓国ツアーを実施。各国から数多くのバンドが集まった、釜山でおこなわれたロック・フェスティヴァル“BUSAN INTERNATIONAL ROCK FESTIVAL 2002”にも出演。9月には、初のベスト・アルバム『HAMMERSLAVE -HISTORY 10×20-』をリリース。12月には“BEAST FEAST02”に出演。その後、イン・フレイムス&シャドーズ・フォールのジャパン・ツアーのオープニングとしてプレイするも、ギターのMIZOGUCHIが脱退。新たにSEIKIが加入。

2003年
、ホーンテッドやレイジング・スピードホーンのオープニング・アクトとしてプレイしつつ、春にはWRENCH、PULLING TEETH、DESERTといった日本のバンドともライヴをおこなう。9月には、LOUDNESS主催の“LOUD FES”に出演。韓国のパンク・バンド、GUMXとのライヴもおこない、11月には、In Flames、Arch Enemy、Dimmu Borgir、The Haunted、Opeth等を手掛けたことでも知られるフレデリック・ノードストローム&パトリック・J・ステン(パッセンジャー)をプロデューサーに迎え、スウェーデンのイエテポリのスタジオ・フレッドマンで、7枚目のアルバム『FIREANT MOVING Co.』のレコーディングを開始、年内に終了。

2004年1月、東京のスタジオ・コーストでおこなわれた“WARPED TOUR”に出演。3月には7枚目のアルバム『FIREANT MOVING Co.』をリリース。5月にはレコ初の全国ツアーを実施、9月には
エクソダス&ユナイテッドと東名阪をツアー。

2005年2月、THE DWARVESのオープング・アクトを務める。3月には、新曲5曲とライヴ・トラック、カヴァー曲を収録したEP『12 STEPS』をリリース。スタジオ・コーストでおこなわれた INDEPENDENCE-D”に出演。4月にドラムのRYOが脱退、新宿ロフトで彼のラスト・ライブを行う。

2006年8月、韓国の大学が主催するイベントに招聘され、出演する。

2007年、ドラムのRYOが復活。10月にはメガデスのオープニング・アクトを務めるため韓国へ。

2008年8月、念願のアンスラックスの日本公演のオープニング・アクトを務める。9月、新作レコーでイングのためにスウェーデンへ。11月にはホーンテッドの日本公演のオープニング・アクトと務める。

2009年3月、スウェーデンのDug-Outスタジオで録音された8枚目のアルバム『SEARCH FOR CHANGE』をリリース。