● NAPALM DEATH BIOGRAPHY ● 



  

  ナパーム・デスは80年代初頭イギリスのバーミンガムで結成され、当初のラインナップは常に流動的で、数え切れないほどのメンバー・チェンジを繰り返していた。

 86年、彼らは後に「EARACHE」を設立するディグビーと出会い、デビュー・アルバムの製作を開始。そのデビュー・アルバム「SCUM」のレコーディング・メンバーは片面 ではミック・ハリス(Ds)、ジャスティン・ブロードリック(G)、ニック・バレン(B,Vo)で、翌年にレコーディングされたもう片面 ではジャスティンに代わりビル・スティアー(G)、ニックに代わりジム・ウァイトリー(B)、リー・ドリアン(Vo)というメンバーで制作された。同年このアルバムのリリースに伴い初のツアーに出たが、またもメンバー・チェンジが勃発、ジムに代わりシェーン・エンバリー(B)が加わった。

 88年10月、16チャンネルでレコーディングしたセカンド・アルバム「FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATION」を発表。このアルバムはインディペンデント・チャートで最高位 2位をマークする好セールスを記録した。彼らがいきなり大きな注目を集めた背景には"天才""鬼才"等の異名をとるDJ、ジョン・ピールに評価されたことがあげられる。彼はナパーム・デスがアルバム・デビューを果 たす前から目を付け、率先して自らのBBCラジオでの音楽番組「ピール・セッションズ」に出演させるだけでなく、その模様を作品化している。

 89年6月に行われた1ヶ月間に及ぶ全英ツアーは日本のハードコア・バンドS.O.B.との共演で行われ大変話題となった。7月には初の来日公演も果 たし大成功に終わったが、終了後にまたもメンバー・チェンジが起こり、ビルとリーがそれぞれ個々のバンド活動のために脱退、残ったシェーンとミックはバンドを立て直すべく、シンガーの後任に元ベネディクションのマーク・バーニ・グリーンウェイを迎え入れる。が、ギタリストの人選は暗礁 に乗り上げてしまい、公開公募に踏み切り、テロライザーのジェシー・ピンタードとライチャス・ピッグスのミッチ・ハリスの二人を獲得、新生ナパーム・デスは5人組で活動を再開することとなった。

 89年11月、初のアメリカン・ツアーを含むグラインド・クラッシャー・ツアーをボルト・スロワー、カーカスモービッド・エンジェルと共に敢行。その後、サード・アルバムの制作に突入、プロデューサーに「デス・メタルの第一人者」と言われるスコット・バーンズを起用し、アメリカのフロリダ州タンパにあるデス・メタル発信基地モリーサウンド・スタジオでレコーディング、デス・メタルよりのアプローチを見せた「HARMONY CORRUPTION」を発表した。約一ヶ月かけて全英ツアーを行い、ボルト・スロワー、ヘルバスタード、ピッチ・シフターなどと単発のギグを繰り返し、その間に四曲入りミニ・アルバム「MASS APPEAL MADNESS」をリリースした。

 91年夏、2度目にして大規模なアメリカ・ツアーを行い、セパルトゥラ、セイクレッド・レイチ、シック・オヴ・イット・オールと共にパッケージ・ツアー「NEW TITANS ON THE BLOCK」に出演、約3ヶ月を費やして、アメリカ全土をサーキットした。その後、唯一のオリジナル・メンバーだったミック・ハリスが幅広い音楽性を追求するために脱退、新人ドラマーのダニー・ヘレッラが加入した。

 92年5月、再度新ラインナップになったナパーム・デスは4枚目のアルバム「UTOPIA BANISHED」を発表し、5月8日のアイルランド、ダブリンからオビチュアリーと共に「CAMPAIGN FOR MUSICAL DESTRUCTION」と銘打ちされたダブル・ヘッドライナー・ツアーをスタートさせ、2ヶ月間かけてイギリス、ヨーロッパをツアー。その後アメリカに渡り、カーカスカテドラルブルータル・トゥルースらとアメリカン・ツアーを行った。

 同年11月、これまで海外のみでリリースされていたBOXセット、ライヴCD、EP盤などでの貴重な音源を集めた日本のみの特別 編集盤「THE WORLD KEEPS TURNING」をリリース。また、デッド・ケネディーズのトリビュート・アルバム「VIRUS 100」に参加した。その後はメンバーが各サイド・プロジェクトで活躍、ミッチはオビチュアリーのメンバーと組んだユニット、ミートフック・シードのアルバムを発表。シェーンはシック・オヴ・イット・オールのルー・コラーと組んだプロジェクト、ブラッド・フロム・ザ・ソウルのアルバムをリリースした。こうしたサイド・プロジェクトを経て94年4月に5枚目のアルバム「FEAR, EMPTINESS, DESPAIR」を発表。リズム面で著しい成長が見られた作品となり、かなりの話題を集めた。  

 96年2月、6枚目のアルバム「DIATRIBES」がリリース。アメリカを意識したと思われるスピーディかつキャッチーなサウンドへと変化したこのアルバムを引っ提げ2度目の来日公演が実現。現メンバーとなっての初の日本公演は他のバンドの追随を許さない破壊的な演奏力と圧倒的なライヴ・パフォーマンスで話題となった。 

 日本公演終了後、バーニと他のメンバーとの関係が悪化し、バーニが脱退、代わりにエクストリーム・ノイズ・テラーのフィル・ヴェインが加入するといったショッキングなニュースが入ってきたが、次作のレコーディングに入った際に、バーニ以外に今のナパーム・デス・サウンドを歌いこなせるものはいないとの結論に達し、バーニが電撃復帰を果 たすこととなった。その7枚目のアルバム「INSIDE THE TORN APART」は97年8月にリリース。それに伴うヨーロッパ・ツアーはマシン・ヘッドとのカップリングで行われ、現地のファンを驚喜させた。 

 速いタームでニュー・アルバムの制作に突入。通算8枚目となる「WORDS FROM THE EXIT WOUND」が99年1月リリースとなったが、それは長年連れ添ってきたイヤーエイク・レーベル最後の作品となった。彼らは自身のレーベルを設立し、99年の暮れ、カヴァー曲を集めたミニ・アルバム「LEADERS NOT FOLLOWERS」を発表。その後、移籍後初のフルレングス・アルバムとなる「ENEMY OF THE MUSIC BUSINESS」を発表、日本盤は前記のミニ・アルバムとのカップリングで10月にリリースとなった。







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